思い出のマーニー: 感想

f:id:danny_1004_rs:20140807000251p:plain

どうも。7月19日より公開中の映画「思い出のマーニー」を先日、見てまいりました。私はいたく感激させていただいたのですが、見終わった後のトイレでDQNが「つまんなかったな、なんか展開が予想できてさ」とか言ってるのを聞いてしまい悔しくなったので感想・考察の記事です。当然のようにネタバレなのでご注意を。

ではネタバレOKの人だけ「続きを読む」でお進みください。

 

最初にことわっておきますが、そこまで百合映画じゃねーから!これ!

 

静かな挑戦作

借りぐらしのアリエッティ」で監督を務めた米林宏昌監督(以下麻呂さん)の新作ジブリ映画がこの映画となります。今回の「マーニー」の印象として大きいのは、なんというか、麻呂さんがのびのびやってるなー、ってことです。正直、前作アリエッティではジブリの顔ともいえる宮崎駿監督(以下ハヤオ)にビクビクしているような印象がありました。こう、最初から「ジブリっぽさ」を前提としたような、どこかやり切っていない、そんな映画に思えていました。それとは対照的に今回の「マーニー」は、麻呂さんが、やりたいことをやりっ切った映画だったと感じます。(あくまで私の所感ですからね)なんというか、大作を作ろう、とかそういう気概で作ってないと思うんですよね。自分の中のイメージをそのまま引っ張り出してきたような。ジブリのイメージ、というかハヤオ作品のイメージと比べてやはりインパクトは薄まってしまいますがそのような作りの映画も私的には大歓迎です。そして、ジブリという超大手ブランドからこのような、静かで、繊細な物語を作り出すというのは結構難しいことだと思います。

 

2人の主人公、2人のヒロイン

 「この世には目に見えない魔法の輪がある。」

舞台は北海道。主人公は12才の中学生と湿っ地屋敷に住むお嬢様。まわりとも保護者とも上手く交われない自分を「嫌い」と語る心を閉ざした少女、杏奈と、湿っ地屋敷に置き去りにされ、意地悪なねえやとばあやに悩む強がり少女、マーニー。二人の奇跡のような出会いと別れの物語です。

 

今回の映画で一番惹かれたのは杏奈のキャラクタ性ですねー。「自分がいるのは輪の外なんだ」と語るように、杏奈の悩みは人と上手く付き合っていけないこと。言いたいことがうまく言えない、という、そーゆータイプの女の子です。あと、すぐ顔を赤らめます。かわいい。でも引っ込み思案かというとそうでもなく、心配ばかりする保護者に「メエメエうるさいヤギみたい」と毒づくような、生意気な面も持っています。なんか、そういうのいいですよね。下手に暗いだけの女の子よりも陰で毒づいて見せるような、そういう方が現実にいそうな感じがしてとてもゾクゾクします。そんな杏奈ですが、不思議な少女、マーニーとは打ち解けられ仲良くなっていきます。毎日、夕方になると湿地帯でマーニーを探し、暗くなるまで話したり遊んだりして、道端で倒れているのが発見されます。さすがに療養にきて毎晩道端で気絶してるのはまずい気がしますが、まあその割に元気なので大丈夫。夏ですしね。

 

一方不思議な少女、マーニーですが、杏奈も途中で気付くように彼女は空想の存在です。それも語弊があるか。湿っ地屋敷に残された「思い出」の存在。しかし彼女も悩みを抱えて過ごす一人の少女なのです。杏奈と出会い、互いに惹かれて、互いを思いやりあいます。また、その成り立ちも起因してか、非常にミステリーな存在です。神出鬼没がデフォルトなうえに、屋敷に残された日記帳や、執拗に迫る「秘密」の共有。とてもミステリアスで不安定な存在らしいことが本作からも読み取れます。また、その容姿は中性的な杏奈と対称的にかわいいお嬢様そのものって感じです。髪はおろしてる方が似合ってるよ!

 

雑多な考察

考察の前にいくつか設定をまとめておきます。まず、杏奈の現在の保護者は実の親ではないことと、本当の両親は杏奈が生まれて間もなく亡くなっていること。また、マーニーの正体は杏奈の実の祖母に当たる人で、一応幼少時の杏奈とも面識があります。杏奈の実の母である絵美里さんはマーニーの娘で、マーニーが夫を亡くし体調を崩したため他所に預けられので、マーニーに直接育てられたわけではありませんでした。そのことが原因で絵美里とマーニーは仲たがいし結局その溝は埋まらないまま絵美里は亡くなってしまいます。杏奈という孫娘を1人残して。そして、そのことを杏奈は知らないまま過ごしてきました。

ふう、こんなところでしょうか。まとめて頭がすっきりしました。

じゃあ、じゃんじゃん考察していきましょー

 

マーニーの日記

湿っ地屋敷で彩香という少女(彼女もいいキャラしてます)に発見されたマーニーの日記です。その内容は純粋に日々の出来事を記録したもので、残念ながら「かゆ‥‥‥うま‥‥」とかホラーなことは書かれてはいません。ですが最後の数ページが破かれていて、そこに何が書いてあったんだろうねー、という話になります。その後見つかった数ページ(彩香ちゃんが有能すぎる)に書かれていたサイロの記述から杏奈の発見につながるのですが、よくよく考えると不明な点が残っています。まず、「なぜ日記が破かれていたのか」これは劇中では、いつ、誰が、何のためにかなど一切触れられていません。そしてそこに書かれていた内容。それはマーニーの幼馴染「和彦」のことばかりでした。そして彼によく「サイロ」のことでからかわれたとも‥‥‥

サイロ

劇中でも不気味の象徴のような存在のサイロさんですが、大事な点はサイロそのものではなく、その象徴的意味の方です。子供のころはなぜか無性に怖い場所というのがありますよね。このサイロもあの土地の子供たちにとって不気味や怖さの象徴だったんだと思います。物語の序盤から顔を出していて、終盤では展開的に重要な役割を果たしたサイロ。誰かが近づくと気を利かせていちいち嵐を起こすイケメンさんです。そんなサイロ兄さんにも謎は残っています。終盤、50年前のマーニーが一人そこに居たことが語られます。そして助けに来たのは「和彦」だったことも。

和彦

 マーニーの幼馴染の男の子、それが和彦です。ダンスパーティのシーンではマーニーとの仲の良さを杏奈に見せつけ(百合目当て観客憤死の瞬間)サイロではおびえるマーニーにコートをかけて連れ帰ってゆきました。その後マーニーは和彦と結婚し(百合目当て観客絶命の瞬間)子供が生まれる間際になって亡くなってしまいます。それがきっかけでマーニーは病気がちになってしまうので、ある意味彼女のその後の不幸のトリガーとなってしまった人物です。

しかしそんな和彦も意外とミステリアスに謎をばらまいています。一番大きいのはサイロでの場面。現代の時間軸でマーニーがサイロに行くこととなったのはマーニーっぽくなった杏奈に誘われたからですが、50年前なぜマーニーがサイロにいたかはハッキリしていないのです。これは原作でも答えは出てこないようですが、マーニーが「誰にもバカにされたくなかった」と語っていることから、克服の意味を兼ねていたととらえるのが妥当でしょうか。和彦にからかわれたことにムキになってサイロに行ってみたけど嵐が来て帰れなくなり、怖いままサイロに閉じ込められてしまったとか。そこに和彦が気づいて一人助けに来てくれたのだとするといい話です。和彦君イケメン。死んでしまうけど。

でもやはり日記の謎は解けないままです。和彦の記述の部分を破った日記。ページの隠し場所からして隠したのはマーニー本人でしょう。隠したのが彼女ならおそらく破ったのも彼女。どんな理由があったのでしょう?そもそも日記はなぜあの屋敷に残されていたのでしょうか?和彦と結婚する時点でマーニーは湿っ地屋敷を出ているのでその前までに隠したと考えられます。そして日記の終わりはサイロでの場面です。あの後日記は紡がれていません。「思い出」の最後のシーンは和彦に助けられたサイロなのです。

マーニーも「この屋敷が大好き」だと語っていますし、案外日記を残したのも、「屋敷が誰の手にわたっても屋敷から思い出が消えませんように」と考えてのことなのかもしれませんね。そして本当に大事な「思い出」は屋敷のある場所に隠しておく。そんなマーニーの思い出が屋敷に残っていたから、杏奈の前にマーニーは現れたのかもしれませんね。

杏奈とマーニーの悩み

和彦の話が長くなってしまいました。まあ和彦は置いておいて、杏奈の話です。杏奈の悩みの根底にあるのは本当の親に「置き去り」にされたというトラウマです。故意でのことではないと本人も理解をしているのですがどうしても恨まずにはいられない。そして更に大きいのが、現在の杏奈の保護者のお義母さんが杏奈を育てることで政府から援助金をもらっているのだと知ってしまったこと。保護者たちは杏奈にこのことを隠していたのです。このあたりの設定が私はすごく心惹かれています。特に後者の方ですが。自分を育てていることでお金をもらっている、そういう人物はもうどうがんばっても「親」じゃなくなっちゃうじゃないですか。そんな些細なこと、と思う方もいらっしゃるでしょうが、これはショックですよ。周りの親にそんなことしている人は一人もいない。何より自分を育てるということに1%でもお金のことが入っているかもしれない。そんな状況は12歳の少女には怖さ以外の何物でもないでしょう。そのあたりの設定のうまさが絶妙なように私は感じました。

一方、マーニーの悩みは親に放っておかれていること。湿っ地屋敷に「置き去り」となり、親が帰ってくるその日だけ「恵まれた少女」になる。それでもマーニーは強がりなところがありますからそれなりに辛い毎日でも元気に過ごして見せたのでしょう。その後、マーニーは和彦と結婚することによって「置き去り」から独立することができました。しかしむしろマーニーの悩みは結婚後の方が大きかったのかもしれません。和彦が亡くなり一人娘も病気のため育てられなかったマーニーにとって、最後まで絵美里との関係の修復が叶わなかったのは大きな苦痛だったはずです。そこで出会った絵美里の一人娘、杏奈に「寂しい思いはさせない」とマーニーは誓っています。ともすればそれは「置き去り」にしてしまい溝も埋まらなかった我が子への贖罪でもあったのでしょう。彼女の悩みは「置き去り」にしてしまったこと。

空想としてのマーニーの存在

杏奈の前にマーニーが現れたのは、幼いころ祖母であるマーニーに聞かされた思い出話が杏奈の中にあったことと、湿っ地屋敷に50年前マーニーが日記として思い出を残していたことの2つが合わさって起きた奇跡なのではないかと推論します。すなわち劇中のマーニーは幼いマーニーと老婦人のマーニーが混じったような状態だったのではないでしょうか。そしてそのマーニーの悩みもまた、親に「放っておかれた」ことと、実の子を「置き去り」にしてしまったことの2つが混ざっている状態なのではないでしょうか。杏奈は自分が嫌いで「自分がマーニーならよかった」と言うシーンがあります。マーニーもまた「杏奈になりたかった」と語り、二人は入れ替わったように性格を反転させてサイロに向かいます。このシーンは杏奈とマーニーの本質的な性格を表しているシーンだと思います。杏奈は自分の言いたいことがうまく言えず言いたくないことばかり言ってしまいます。それに対しマーニーは自分の弱みというものを人に見せることをせず本音を隠して振る舞います。この対称的な二人ですが考えようによっては見る方向が違うだけの同じ人間のようにも思えます。まるで表と裏のようにぴったり重なった存在の2人だったのかもしれませんね。よって入れ替わったようなシーンは本人たちの裏表が入れ替わったというシーンだったのかもしれません。まーとにかくあの、急に杏奈がハキハキして弱気なマーニーの手を引くシーン、とてもジブリ的に不気味な感じでゾクゾクさせていただきました。

あなたのことが大すき。

 サイロにマーニーを助けに来るもマーニーは和彦の迎えにて一人帰ってしまいます。杏奈を残して。思い出の最後です。祖母として幼い杏奈にマーニーが語った思い出も、幼いマーニーが屋敷に残した日記の思い出もこのシーンで終わっているのです。空想としてのマーニーはこの瞬間が最後だったのです。思い出に取り残された杏奈は激しく取り乱します。「置き去り」を極端に恐怖する杏奈にとって、大事なマーニーが故意ではないとはいえ自分を置き去りにして行ってしまったことを、どうしても許せなかったのでしょう。嵐の夕闇を倒れるまで走ります。ここら辺、みてて辛かったです。

自分が嫌いだった杏奈はマーニーに「今まで出会ったどんな女の子より、あなたが好き」といってもらえます。杏奈もマーニーに「今まで出会ったどんな人より、あなたが好き」と返します。このシーンは互いにとって「救い」のシーンだったのだと感じます。肉親に「置き去り」にされたと思っていた杏奈が、我が子を自分と同じように「置き去り」にしてしまったと感じていたマーニーが、互いに「あなたが好き」と言って抱きしめあうシーンは正に互いにとって「救い」の瞬間なんでしょうね。

映画の終盤、思い出が終わった後に2人はもう一度再開します。杏奈は「なぜ置き去りにしたのか」と問い、マーニーは故意でのことではなかったこと、そして「許してほしい」と願いを打ち明けます。このあたりのシーンも祖母のマーニーの「置き去り」を許してほしいと願うシーンとしても見れるようにしてるのがいい演出だと思います。ここは本当に情景から声優さんからすごくいいシーンです。短いけど屈指の名シーンです。そしてそんなマーニーの願いに杏奈は「もちろんよ!許してあげる!あなたが好きよ、マーニー!」と答えます。この「好き」が凄くいいです。なんか不純物ゼロの状態っていうか、好きって言葉ができた瞬間のままの意味っていうか、もう同性愛とかプラトニックとかそういう下世話なことを全部飛び越えて真っ直ぐより真っ直ぐに「好き」って言ってる感じがいいです。とっても。

マーニーはずっと杏奈のことを覚えていると約束し別れを告げます。杏奈もマーニーも互いを互いに救うことができたのだと思います。マーニーは許されないはずの罪を許され、杏奈は許すことができないはずの罪を許します。そして二人は別れます。すごく切ないですが杏奈の未来の明るさを感じさせる良い終わり方だと思います。杏奈は多分もう自分を、マーニーと同じくらいに好きでいられるはずでしょうから。

 

最後

 なんかとてつもなく長文で結構恥ずかしいんですけども、ここまで私の感想を読んでくれてありがとうございました。まだ映画の余韻が残っている間に書き残しておきたいと感じて一気にかいてしまいました。最後になりますが「思い出のマーニー」に私はいたく感動させていただきました。ハヤオ作品のようなアクションシーンがないジブリの作品というのはあまりなじみのないものでしたが、こういう作品を見ると、ハヤオの描き方が天才的すぎるだけで、むしろジブリはこういうしみじみとした映画を作るのが本来の在り方なんじゃと思うくらい絶妙な味を感じました。いやはや面白かったです。今後もジブリの映画には期待しています。