いじめうけたら・・・小中学生「自殺しない」半数どまり

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http://www.47news.jp/news/2014/04/post_20140429154344.html

記事要約

自身がいじめを受けた場合、自殺する可能性を否定できない小中学生が約半数もいることが、兵庫県などでつくる「ひょうごユースケアネット推進会議」による調査で分かった。子どもに自殺の可能性を問う調査は珍しい、同会議は「大人が思う以上に、いじめへの恐怖が子どもに定着している」とみている。

疑問

なぜ半数もの小中学生が自殺の可能性を否定できないのか?

考え、主張

近年ニュースでもよく騒がれることだが、小中学生の自殺は割と多い。毎一定の割合の生徒が永遠に進級できない情景へと踏み入れる。というか、大人も同程度、同じように自殺を図ってしまうのが現状である。「死ぬ」というのを自然と遠ざけている我々だが、そういった数字を見るたびに「死ぬ」というものがフィクションでも何でもないものだということを思い出す。私たちはそういった死の現実感のようなものを必死に忘れようとしているのかもしれない。

人は死ねる。その意味をちゃんと知っている人が世の中にはいる。自殺をする人というのは、人生が閉塞してしまった人や、全部が嫌になった人ではなく、自分は本当に死ねるってわかっている人たちなのかもしれない。

死ぬことができると知ったまま生きていくのは実は難しい。つまりは白紙に戻すことができると思えるわけだ。文章をまとめていてごちゃごちゃしてきたら、当然イライラしてくる、パソコンであったら左上の「新規作成」を押したくなる。自殺をしてしまう人というのは、ほかの人には見えていない「新規作成」のボタンが見えているだけなのかもしれない。たったそれだけの違いなのかもしれないとそう思う時がある。

調査をした小中学生の約半数が「自殺しない」とは答えられなかった。だが、私は逆にもう半分の生徒たちに聞いてみたい。どうして、どんな状況であっても「自殺しない」なんて答えられたのかを。なぜそう答えられたんだ?人は死ねるんだぞ、分かってるのか、とそう、聞きたい。調査を行ったグループの方針としては、全生徒が「自殺をしない」と答えられる状況を理想、として目指していく、というものだったが、私にはそれがほんの少しずれている様にも思える。自殺をしないとは答えられなかった生徒たちは「人が死ねる」ということを知っているのかもしれない。彼らにそれを知りながらも、生きていくことを選ばせてやることのほうが先決なのではないか。或いはそういった、選ばせてやる、という考え自体、こちらの自分勝手な恐さの裏返しなのかもしれないが。

その他

特になし